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厨房思案 第三十三話


「母を見て思うこと」

僕の母という人はもうすでに八十歳に手が届くというのに今も活発に一日を過ごす。
持病のヒザが痛くなったらひとりで病院へ行って注射を打ってもらい、具合が良くない時などはこまめに横になって休んではいるが、 まぁ、ほとんどはなにかしら台所にいるか、市場へ行って顔見知りの店員さんを見つけてあれやこれやと野菜の品定めをしている。

いつものようにキムチのタレを造り、白菜や大根の仕込みから家の掃除もして、
とにかく一日中働いている。
かと思えば、何か仕切りにメモに書いたり、
あるいは、このタレの仕込みは実はここでこうすべきじゃなかったか?などと云ってみたり、
今度こういうのを造ってみたから味をみてほしいとか、
そばにいるとずっとこんな具合に僕や家内にプレゼンテーションを投げてくるのである。

しかし、母のこのスタイルは実は昨日今日のハナシではなく、我が家の昔からの習慣で、 多少のことでも家族でおのおの起きる事柄に正面から向き合ってきたので、今になって特にびっくりすることでもないが、 家内などは最初の頃は環境に慣れるのに困ったとこぼしていた。
しかしまぁ、そうは云っても、もう少しゆっくりしてほしいと母に云ってはみたものの、相も変わらず一日をバイタリティーいっぱいの活力を以って働いている。
母は母なりに情報を仕入れ、整理をして、そして次にそれを実行する。
たとえそれが大根1本のことでも、これを加工して原価を出し、では一体これをいくらで売ったらいい? などというささいなことでも自分の問題として向き合っている。

同時にこれは母の愛だとも感ずる。
自分の息子達に少しでも手を貸してやりたい、お店がヒマにならないようになんとか評判のキムチを造ってやりたい、という母の愛を感ずるのである。

母という人は僕が子供の頃はとにかく働き詰めの人で、いつもなにかしら僕達に自分の体験を通して学んだことを話してくれた。 そしてたとえ物事がどんなにささいなことでもそれに向き合い、改善しようという人なのである。
非常に分かりやすく、シロ・クロのはっきりした人でもある。

もう数え切れないくらいキムチの仕込みをして、味も良く安定していても、時たま本当にこれで良いのか?と考える母をみるにつけ、 この心配性の母の性格は、とうとうと僕の体にも同じ血が流れていると気づいているのです。実は。

何十回、何百回も同じことを繰り返しやっていても、ふっとこれでいいのか?と思うことがある。
あそこの部位はこうカットすべきだったかとか、この切り方で本心から良いかなどと、
思い出してはハッとすることもしばしばである。

昔、僕が子供の頃にお弁当にあった特大のおいなりさんは母の手造りであったが、
どうにも格好が悪く、恥ずかしくて友達の前でとうとう食べずに家に持って帰ってことがある。
あれから何十年。
今はもうお弁当は造らなくなったが、母が時たま造る魚の煮付けは昔に比べると格段の進歩があって、母の愛と向上心に僕は、
いやこの白髪の息子は頭を垂れるのである。
於、自宅
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