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厨房思案 第二話

忘れられない「焼肉の思い出」がひとつあります。

あれはたしか僕が小学校4年くらいだったと思いますが、父が連れていってくれた浅草の国際通りにあった焼肉屋です。
たぶん、焼肉なんぞは僕には初めての経験でして、昭和40年頃はウチでは相当贅沢な外食だったと覚えています。
なにせ、「厚揚げの煮たの」とか「ハムカツ」なんてのはゴチソウで、「ハンバーグ」なんて日には弟と争って食べたもんですから。
『焼肉に連れて行ってもらう』なんてことは、もう金輪際こんなことはないぞ、と思ったくらいでした。

それが、もう、実にうまかったな。

ごはんをですね、6杯、食べたって云うんです。僕がですよ。
よく覚えているんですね、母は。
そんな話をしたら父のことを思い出しました。

昭和60年に亡くなりましたが、あの当時(昭和40年)は神田で小さい会社を経営していました。
しかし、いつも機嫌が良くない。
子供心に父の会社のことを、あまりよくないな、とボンヤリ感じておりました。
そんな折、いきなり「焼肉に連れて行く」ですから、もうこっちはうれしくて走り回っちゃいました。

父もニコニコしてるし、幸せな気分でした。


それからしばらくして、父は会社をたたんで大阪に行くってことで、家族で引越しをしました。
なじみの友達も誰も知らない所へ行くっていう不安もあり、まぁ、いやでしたね……。
言葉も何を云ってるのかさっぱりわからねぇ。
最初についた僕のアダ名は「東京」です。何ともまぁ味気ないネーミングです。

そんなこんなで僕の大阪暮らしは始まりましたが、それっきり「家族で焼肉」なんてことはついぞなかったわけでして。 あの日、浅草で食べた焼肉の味は忘れましたが、父のニコニコした顔は僕にとっては忘れられない

「焼肉の思い出」でありました。

                                      …… つづく ……
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