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厨房思案 第五十一話
「私の信条」

焼肉屋のおやじのくせに、いっぱしに店の信条と云う偉そうなもを作ってある。
それを壁に貼ったり、拝んだりはしてないが、ただ心の中にあって、なんとなくそう思ってそうした。
で、その信条のひとつに「信用第一」とある。 始めは堅苦しいからよそうと思ったが、実は僕は若い頃からこの言葉が好きだったから、多分、自然とそうなったと云うか、信条に入れたのかも知れない。 「信用」とあるくらいだから、宝石とかジュエリーとか不動産とかイメージされるだろうが、取り扱い商品は「牛肉」である。
お客様がご来店下さる。 くにもとで牛肉を食べようとご指名を頂いたようなものであるから、「ああ、おいしかった」と云われなかったら、とっととこの看板を降ろさなくちゃいけない。
だからこの信条はこんな「信用第一」などと堅苦しいものにせずに、なんだか訳の分からない、あやふやで雲をつかむようなやわらかい信条にすればよかった、と思わなくもない。
しかし、この場合はあえて堅苦しく、重々しく、そしていざとなったら逃げ場のないように「信用」としてしまった。 だけれどもこれは自分や一緒に働く人達も、折れそうになる自分の心を支えるつっかえ棒の役目も果たす時がある。

さて、牛肉に関して云えば、僕達は名人でも達人でもないから、一番いい方法は食べることだ。 牛も生き物の肉であるから、ブランド牛や無名の牛を問わず、食べないことには分からない。 仕入れた肉は必ず食べる。 試食なんだけれど沢山食べる。
たが、ひとくち食べてウマイと云うのも分かるんだけれども、 食べて一週間とか何週間もたって、また食べたいと思うくらいにその牛肉が恋しくなるくらいのほうが、良質でおいしい牛肉であると信じている。
肉問屋さんも牧場のオーナーも、肉の売買する人も、牛肉、食べてますか?
指で牛肉や霜降りをなぞり、どこそこのナニナニですと云われても、話は半分位に聞いて、もう半分は自分の直感を信じるようにしている。
時折り、この人達はどれ程牛肉を食べているのか聞いてみたいと思うこともあるが、彼等もプロフェッショナルであるから、それなりに眼力と云うものを信用することもある。
牛肉の仕入れを続けていて、良いこともあれば、そうでないこともある。
何度も痛い目にあって、ずいぶんお金も使った。 その内に、食べることでその教訓が身についてきたが、でもやっぱり、今もまだこの判断はむづかしい。

牛肉の味は投げたボールのようなもので、直ぐにその何というか帰ってこない時もあるが、何ヶ月も過して、お客さんがまた食べたくなってご来店されるとうれしいし、 その味の効き目にまたよろこぶ訳なのだ。 このリピートは自分の判断の域を超えることもあるが、それにしても時間を要するものだ。

世の中の、腰が抜けるほどうまいものを僕は食べたことがないが、あえてこの「信用第一」を信条としたのは何とも堅苦しいし、時として僕を苦しめるが、
自分を奮い起たせることもあるし、この吹けば飛ぶような店でも、この「信条」は柱にしたいと思っている。
於、本店厨房
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