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厨房思案 第三十一話


「ごひいきのすすめ、その2」

焼肉くにもとは本店を兄の僕がやり、新館を弟が仕切り、それぞれ独立店として営業をしている。
時々、もう少し店を増やしてみては?などと声をかけて頂くが、僕も弟も今のところ増やすつもりはない。 景気、不景気の波もあるが、もともとそのような店舗というものは やたらに増やさずとも店主の目の届く中でやる、が僕たちの基本の形なので、今までも1店舗でやってきた。
まぁ、いづれ、今ウチで見習っている若い人達が独立すれば、それが初めての出店となるかも知れない。 僕も弟も自分達の目の黒い内は、店主が現場にいて直接お客さん方や現場の雰囲気というものをハダで感じ取れるようにしている。

どころで、この間久しぶりにテレビを観ていて、立川談志さんの「芝浜」という落語を聞いた。
落語は子供の頃によく聞いたが立川さんのこの落語、良かったです。
で、その「芝浜」のハナシの中で、ひとつゾクッときたというか、感動した件(くだり)がある。
そもそもこのハンシは、多分、江戸時代の芝浜という所だから、おそらく今の東京の浜松町あたりだと思うが、違っていたらゴメンナサイ。
何故そういうかというと、当店の町会は実は「芝浜四丁目」というのですよ。
で、まぁ、僕がゾクッときたというのはこの町会のことではなく、ハナシの主人公の家業、魚屋さんの魚の目利きの件にビビッときたのである。

おかみさんに口ウルサク起こされて、「本業の魚売りに一体何時になったらいくの?」と何度も云われてやっとのことで魚を仕入れに行く、というハナシの始まりだが、 このハナシの主人公、働き者でもなく、酒好きで、ぐうたらとまではいかないが、まぁ当時の江戸の下町にいくらでもいるタイプの人であるらしい。
しかし、こと仕事に臨めば、魚の仕入れにおいてその目利きの眼力、右に出る者なし、
「アイツの魚はどういう訳か知らねぇがうめぇ」と談志名人が話す件(くだり)が面白い。
ここんとこで僕はビビッときたのである。
僕はむしろこの魚屋のご主人になりたいと思うのである。
僕はぐうたらでもないし酒好きでもないが、
「何故かしらくにもとの親父が造る肉はうめぇな、おい」
とお客様に云っていただけたら、もう僕は十分幸せなのである。
それを本領としたい。

落語も歌舞伎も映画もごひいきの役者がいるように、”余人を以て代え難し”という所が良い。
食べる物だって、あの店のおかみさんが造るおでんはおいしいとか、そこの角のそば屋のおっさんが造るソバがうめぇから通うんだとか、 そういうのも、もっとあっていい。
ウチで働く若い人達にその辺りのところを感じとってほしいで思う。
じゃぁどうしたらいいの?と思うだろから、僕はいつも口をすっぱくしている。
それは”真心を以て正義を行う”ことだと思っている。
なんとなくこの先はそう云う真っ当なものしか残れないような気がするのである。

歩いていたらそこに店があって”とりあえず入るか”という時代から、
なんとしてもあそこの角を曲がって階段を上り、 あるいは、通りの先を越えてやっと着いて店に入ったと云うような”苦労をしてもそこの店のだれだれが造る何かを食べに来てくださるような店”をぜひ、今の若い人達に目指して頂きたいと思う訳です。

僕は「芝浜」のクライマックスでとうとう泣き出してしまい、談志名人のハナシに夢中になったが、 余人を以て代え難しを地でいくような「芝浜」を聞いて、久しぶりに感動をした訳です。
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